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The Art Of Love / The Michael Franks Anthology

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 前回のエントリーでデイヴ・ブルーベックを取り上げたときに、「これは白人のジャズ」のようなことを書いたのだが、そういえばわたしのようにジャズ・フュージョンやダンス系の音楽を多く聴く人間は、相当黒人の音楽に依存してるなぁ、とふと思った。棚にあるCDのジャケット見ても黒人ばっかりである。こんなことではいけない(別にいいんだけど)、いつまでも黒人の音楽ばかりに頼るような甘いことばかりしてては人間としてダメになる(そんなことはない)、そんなとき、2009年は白人のミュージシャンから始まったので、それなら勢いで1月は白人だけでいってみようか、という気になった。なので、とりあえず今月は真っ白で行こうと思う。とはいえ、サイドメンとして参加しているであろう数人の黒人ミュージシャンには目を瞑っていただきたい。どこまで白人で続けられるのか勝負である(誰とだ)。

 そんな固い決意とともにご登場願ったのは、マイケル・フランクス (Michael Franks)である。この人、最近でこそペースは落ちたとはいうものの、70年代のデビューから20世紀いっぱいまで、量と質を高次元で両立させたミュージシャンであった。しかも親日家。今回マイケル・フランクスを取り上げるにあたり、どのアルバムにしようか迷ったあげく、全部良いならベスト盤でいいだろ、ってことで2003年にリリースされた、邦題が『アルティメット・ベスト』という2枚組のCDにした。別に無理にCDを選ばなくてもいいのだが、そういう流れで来てるのでね。とはいえこのCD、<アンソロジー>という名前の通り日本語訳にして16ページにも及ぶ音楽評論家のスコット・ギャロウェイ氏による<マイケル・フランクス史>がライナー・ノーツに付いている。これがなかなか読み応え十分である。

 マイケル・フランクスの何がいいって、ソフト&メロウなんて呼ばれ、囁くようで繊細な唯一無二のヴォーカルに、都会的でスタイリッシュなサウンドが魅力であるのはいうまでもないが、それに加え歌詞がとてもいいのである。南カリフォルニアの中産階級に育ち、建設業者であり投資家でもある父がスイング時代のジャズなどが好きだったので、アメリカン・スタンダードを片っ端から聴き漁って育った。そして14歳の時に貯金をして6回分の個人レッスン付き日本製ギターを購入、でも彼が音楽の教育を受けたのはこれだけで基本的に独学なのだ。しかし、文学者としてはアカデミックな教育を受け、UCLAで英文学を修めた後、オレゴン大で修士号、モントリオール大学で博士課程の助手を務めた。その間も詩や小説を書き、イギリスやアメリカの文学雑誌で紹介されたそうだ。その一方音楽も続けていて、夜間の副業としてジェームス・テイラーやポール・サイモンのカヴァーをライヴハウスなどで歌っていた。その後テキサスでカレッジの教職に就くつもりだったが、結局音楽の道を諦めきれずに西海岸に戻り、UCLAで非常勤講師を務めながら音楽活動を続けることになった。

 そしてブリュットという音楽や映画事業に手を広げようとしていた香水会社から声がかかり『Michael Franks』というアルバムを出し、その後映画音楽などもやっていたときに、レコーディング・エンジニアのアル・シュミットの目に留まり、そうとなればワーナーというメジャーと契約し、トミー・リピューマがプロデュースし『The Art Of Tea』という実質的な1stアルバムがリリースされるまでとんとん拍子だった。1975年9月にリリースされたのだが、このとき彼は31歳になったいた。ちなみに『The Art Of Tea』というタイトルは岡倉天心がニューヨークで出版した『The Book Of Teaツ黴€(茶の本)』から取られたものである。参加ミュージシャンもジョー・サンプル、ラリー・カールトンなどクルセイダーズのメンバーにマイケル・ブレッカーやデイヴィッド・サンボーン等、蒼々たるメンバーで、これは80年代に向けてどんどん豪華になっていく。当時のマイケル・フランクスのアルバムに参加しているミュージシャンを見れば、東海岸西海岸問わず、ジャズ・フュージョン系を中心に有名なセッション・スタジオ・ミュージシャンが全部聴ける、といっても過言ではないぐらいである。

 『The Art Of Tea』『Sleeping Gypsy』と立て続けにゴールド・ディスク (当時は100万枚)に輝き、来日したときには何百人というファンが羽田で彼を出迎えた。そしてホテルニューオータニで人生初の記者会見に挑んだのだが、その最初の質問はこうだ、「エルヴィス・プレスリーが亡くなったことに対してどう思いますか?」だ。あのときは日本のマスコミが失礼しましたね。マイケルさん。しかし、これで1977年8月頃に初来日したんだな、と分かるというのはある (正確には9月に東京では中野サンプラザでライヴが行われた)。そしてそのとき当時恋人で同伴していた今の奥さんと神殿結婚式を挙げている。岡倉天心といい、どんだけ親日家なんだって話である。今の知名度からすると信じられないかもしれないが、パパラッチにも追いかけられたりしたらしいが、そんなとき日本側のプロモーターが連れ出したのが奈良公園とその神社であった。それで生まれた曲が「Meet Me In The Deerpark」である。

鹿の園で僕と逢っておくれ
レディ、お願いだよ
二人で鹿のダンスを踊ろうよ
イチョウの木の下で
手をつないで遊ぼう
嘆きの橋も作ろう
僕らは仏陀をニッコリとさせることも出来るさ
 
ロウソクを灯して10円玉を投げよう
望遠レンズを使っても
御利益には変わりはないさ
僕らは手に手をとって

 どこまでも詩的だ。

 駆け足で紹介してきたつもりだが、ここまでまだ3枚目1978年である。困った、長すぎる・・・。マイケル・フランクスについてはまたそのうち紹介するとして、最後に70年代最後のアルバム『Tiger In The Rain』の表題曲の歌詞を紹介して終わりとする。

ほとんど場合
彼はジャングルの王者
彼が苦しんでいると誰もがニヤリと笑う
いつも縞模様の毛皮を誇らしげに
ゆったりと歩き回っている
 
彼は雨の中の虎
雷と稲妻に
すっかり度肝を抜かれてる
彼は雨の中の虎
すっかり怯えている
 
嵐に出くわして
彼は隠れ家を求めて歩き回るうち
僕と妻の元を訪れた
僕たちはあごのあたりを撫でて
家の中に入れてやった

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